母と子ども

幼児教育に関するつぶやき

本質がわかる子

 

私が教えている年中さんの女の子が「わたし、海のお家に、お引越ししたいの!」とママに訴えているとの事。

 

ママの話はこう。
街中のマンションに住むこの3人家族は、海が大好きで、目の前が海という場所に「海の家」と称して別荘を持っている。夏の間、そこで過ごしている時、すぐお隣りに同じ年中さんの男の子が住んでいて、海の家に行くとその子に会えるとの事。仲良くなるうち、いつも遊んでいる幼稚園のお友達とは違う魅力がある事に気付いていったらしい。


その男の子は何とも素敵な子で、弟のお世話がよくできて、娘の事も王子さまのように、すごく大切にしてくれる。お父さんと男同志の釣りに行く。海で拾った綺麗な貝がらを集めていて綺麗な瓶に入れている。海辺のゴミを拾う。娘が好きなディズニーのプリンセスなどマンガチックなものやキャラクターには全く興味がなく素敵な絵本を見ている。テレビやゲームにも興味なく、工作、折り紙、お絵描き、砂浜遊びなどして、聴いたことない素敵な歌を歌ってる、と。別の世界の人みたいだと。


その後、親たちも仲良くなり、おしゃべりするようになった頃「どうして、そんなに良い子なんですか?」と尋ねると「そうですか?普通に育てているだけですけどね。強いて言えばシュタイナー教育を実践している保育園に通わせている事でしょうか。」
と仰ったとの事。

 

うわぁ〜〜〜!
やっぱりね〜!

 

やはり幼児期にどんな教育を受けているか?どんな子育てをされているか?で、子どもは輝くのだ。


私も今は受験指導をしているが、昔はシュタイナー教育を長く学んで幼稚園で実践していた。ドイツにも勉強に行って、あの教育に夢中になった。今の自分があるのはその時期の学びが根底にあると思っている。


何だかとっても嬉しくなって、また本棚からお気に入りを取り出して読み直している。

 

彼女は小さな心で、その男の子の本質を見抜いたのだと思う。彼女の通うインターナショナルスクールにはない、シュタイナー教育の本質を、その男の子の中に。
素晴らしい感性だとこの子どもたちに感謝したい気持ちだ。

 

彼女のママはしばらくして「受験はしない」と決断した。これもまた素晴らしい。勇気のいる事だったと思う。ご夫婦で、この子をどう育てるか?しっかりとした信念を固められたのだと思う。


私は受験指導はしているが、決して受験を推奨はしない。
この世の中の在り方をよく見てよく聴いて、今の時代が求める教育をしたいと思っている。


だからそのママに、私からはシュタイナー教育のお勧めの本を(絶版になったから中古だが)プレゼントした。

 

このように嬉しい出来事は、自分の糧にしたい。そして今している仕事を振り返り、反省し、さらに高みへと成長したい。

 

子どもって、やっぱりいいなぁ。

とある通勤電車の中で

ある朝の電車の中、優先席マークの席に座る若いカップル(友達か、職場の仲間かも?)が、まずそこに座ってる事もどうかと思うが、そんなごく一般的な常識が通じない相手だと、すぐに理解させられる。


近くに行ったのが間違いだった。
布の手提げ2つとスーパーのビニール袋いっぱいにいろいろ突っ込んである中から、次々と広告やらチケットやらを取り出して男性に説明しているのである。
いろんな飲食店のチラシを持っていて、どこどこのセットメニューや、割引券、何時まではいくら安くなる、何曜日に行くと◯◯がつく、日替わりのモーニングはいつがお得、徒歩何分と書いてある…など矢継ぎ早に喋り、もう周りに聞こえていようが、お年寄りの方が前に立とうが車内のアナウンスがあっても、全く周りが見えていない。彼に説明する事だけに夢中になり声もだんだん大きくなる。
こういう時、周りの人は黙って我慢するしかない。


彼女もその相手も、ファストフードなど、それらのチラシの商戦にまんまと乗せられて、一見おトク感を我が物にしたとウキウキなんだが、その稚拙な思考と言動に(えっ⁈何歳⁇)とついチラ見してしまった。(残念ながら二十歳はとっくに過ぎてる2人でしたね…)

 

通勤電車の中では皆、今日の仕事の1日の流れを考えたり、今日一日を計画したり、昨夜の家庭での事を考えたり、今夜の夕食を考えたり、眠くて仮眠する人や…それぞれが思いを巡らせたりする場所だったりする。が、こういう人がいると、この近くに乗った皆が、この人の話を嫌でも聞かされ、頭の中の思いをかき乱される。

 

こんな時、幼児教育をする身として思うのは、この女性の幼児期はどんな風だっただろう?育てにくい子だったかな?社会に出た今、周りに注意する人はいないのだろうか?この女性もいつか結婚して子育てするだろうか?
こんな機関銃のように喋り続ける女性が母親になったら…?

 

ここまで考えて、ゾッとした。
割引券が悪いという事ではなくて、モラルも何もない、周りの状況を把握できない人が、いつか親になって子育てをするかも…と思うと、大袈裟だが、この国の未来が心配になる(私も歳をとったなぁ)
こういうパターンがまさしく
「問題の子どもは、問題の親が作る」という事なのだろう。

その幼稚園を選ぶ理由は明らかですか?

私立小学校の受験指導をしていく中で、毎年共通して同じタイプの困ったちゃんに遭遇する。これは受験に限らず、幼児期に、普通の幼稚園でなくインターナショナルスクールに通うお子さんたちの全員に言える事。


「ヒト」だけが言葉を持つ。胎児はお腹にいる時から、母親の愛情を感じながら、母親の住む国の言葉を聞いて大きくなる。誕生してからも母親の心音と一緒に聞こえていたママとパパの声を何よりの安心な音として聞いている。赤ちゃんは主に母親の発する音、言葉を聞いて大きくなる。そして音を聞いて言葉を通して生活や世の中を知っていく。
そして次なる環境として行き始めるのが保育園や幼稚園。そこでの言葉は母親と違う、一斉の指示となる。そこでも子どもは先生の言葉を聞き、お友達の言葉を聞いて社会性を身につけていく。
そこで、それが違う国の言語だったらどうだろう?自分が幼児だとして想像してみてほしい。

 

英語を耳から聞く時の波動は日本語と違うらしい。だから幼いうちから英語を聞く耳を育てる事は有効だと。数年前から、あちこちにインターナショナルスクールができ、ネイティブの先生がいて、幼稚園での生活全般を英語のみで過ごす。勿論本物のバイリンガルになる事を目指し、発音も大人顔負けに美しくなる事は感心する。


しかし…。


この環境で幼児期を過ごしたお子さんは、その後どうなったのか?検証してみてほしい。
世界で羽ばたく為に幼い頃からの英語体験は必要という事は理解できる。しかし、この「人」として世の中を学んでいく幼児期に、日本語ではない幼児教育の環境で、大切な事がいっぱい抜け落ちていませんか?????と思う。

 

勿論選んだ園によっても違うと思うが、日々、子どもたちと関わる仕事をしている私として感じるのは、インターに通うお子さんの多くが、年長児として身についているはずの日本語の言語能力が著しく低いのが現状なのだ。


自分の思いを日本語で話す事ができない、繊細な感情が育ってきづらい或いは育ってきてもその表現力に繋がらない、文脈を理解できない、複雑なお話が理解できない、日本語独特の美しい表現を全く知らない、単語でしか会話できない、形容詞、助詞の使い方がめちゃめちゃ…などなど、大変お粗末で残念な事になっています。

 

それに加えて共通するのが「お行儀が悪い」

お友達を呼び捨てにする←カッコイイと勘違いしないで!足癖が悪く、すぐ胡座をかく、足を組む、お箸が上手く使えない、手づかみで食べる、肘をついて食事する、食事中のおしゃべりが多い、キチンとお椅子に座れない、女の子でもお膝が開く、明るくてオープンな感じだけど、表現がオーバーで単語1つで答えてしまうなど人の話を丁寧に聞いて言葉を選んで丁寧に返答する事が苦手なので、どうしてもぶっきらぼうな印象を与えてしまう…など。

 

この、言語能力とお行儀の2つ。これが著しく劣るのである。これは大変困った事なんですよね。何故ならこれらを身につけるのには何年もかかるからだ。日々の生活の中で自然に身についていくものは、簡単には手に入らないという事だ。


もう一つ言うなら、幼児期をこの環境で過ごしたお子さんのママから、未だに「先生、国語の成績がすごく悪いんです。どうしましょう」「先生、日記や感想文が書けません。どうしましょう。」と相談を受ける。小学生になった今も。
うーむ、困ったもんだ。もう幼児期をやり直す事はできないからね〜。

 

一方で、インターナショナルスクールを卒園しても、言語能力は高く、お行儀も良い子はちゃんと存在する。それは勿論、両親がインターナショナルスクールの特徴をよく理解した上で、家庭での子育ての中で、我が子に足りてないもの、加える必要のあるものをしっかりとわかっていて実践しているのだと思う。こういうご家庭ならインターナショナルスクールに入れても失敗や不足はないでしょうね。

 

やはり「親の子育て」が源なんだな。子どもをどう育てたいか?がしっかり教育方針としてご夫婦で話し合われているか?という事に行き着くんだねー。

 

注:これはインターナショナルスクールを批判するものでは決してありません。自分の子どもを客観的に見てみましょうと言いたいだけです。

 

秋は就学時健診の季節。いろんな「みる」の話。

各市町村から来春就学予定のお子さんに向けて案内が届いていると思う。私立小学校の受験指導をする今、昔していた仕事を思い出す。
就学時健診に向けて、通常学級に入る為に必死にお母さんやお子さんと頑張った事、また就学時健診で初めて引っかかってうろたえるお母さんと向き合った事。


あれから10年以上経っているが、この後者の方の就学時健診に引っかかってしまうお子さんの、何と増えた事か…。
まあ、世の中を見れば、あっちにもこっちにもいるいる!電車の中やスーパー、遊園地やご近所さんに至るまで、子どもも大人も「引っかかる要素」のある人が何と多い事か…。
こういう人や子どもを分類する事は大変失礼ではあるが、こと就学時健診だけに特化して考える場合、「君、ちょっと待った!」と言いたくなる事はこの10年の年月の中で確実に増えていった。


私は幼児教育の専門なので、「君、ちょっと」のお子さんのママに、その傾向をなるべく早い段階で伝え、子育ての仕方を少し変えたり工夫したりするだけで、随分良くなる事をしたいと思っている。そう、医師の診断を受ける程でもない、この軽度発達障がいのお子さんと、そこまでもいっていない超軽度だけど個性的なお子さん、もしかしたら子育てのせいかもしれない、早く正しい指導をすれば治るかもしれないお子さんが、ものすごく多いという事です。
そして、世の若く未熟なママはその事に全く気づいていない事も、ものすごく多いのが現状です。

このまま行くと困るのは、小学校の先生。いやいや、先生は2の次で、1番困るのは本人です!
小学校は人生の根っこを育てる大切なところです。ここから「出ばなを挫く」事になるのは大変かわいそうな事でしょう。だからこそ、幼児教育は、小学校教育よりも、もっともっと重要で、お母さんの養育や子育てには人生がかかっていると言っても過言ではありません。

 

話を戻します。
その就学時健診では一体どういう事をするか?に触れたいと思います。
小学校の就学先としては、子どもの特性や必要な支援の内容によって通級、特別支援級、特別支援学校小学部、通常学級という選択肢があります。
そのどこに行くのがその子にとって1番良いか?を決めるのが就学時健診です。また、学校側もそのようなお子さんが、今年はどれくらいいるのか?を把握して教員の人数を検討したりもします。

お母さん方は体育館で校長先生のお話しを聞いて、その間にお子さん方を、高学年のお兄さんお姉さんが連れて行って健診をします。内容は、身体計測や健康診断は勿論、知的発達の検査も行われます。
一般的に精神発達、言語、情緒の側面から診断します。
精神発達は、初めに、名前や性別、概念の意味を理解しているかを診ます。そして、おはじきや絵カードを使い指示に合わせた行動ができるか?指示が理解できているか?なども診ます。他にも◯や△、渦巻きを真似て描いたり、「違うものはどれ?」などの、質問への受け答えを見たりします。
言語は、音が正確に言葉になっているか、そして発音が不明瞭でないかを確認します。
情緒は、上記の検査最中のお子さんの様子を観察します。
場合によっては、集団知能検査を行う学校もあります。
あと、簡単な面接を行う学校もあります。自己紹介や、出身幼稚園、保育園など簡単なものです。

 

そんな事は5歳6歳になっている年長児なら「楽しかった〜」と、当然軽くこなしてくると思われるかも知れませんが、こういう場面で、少し目立つ行動をするお子さんがいます。それが知的な遅れではなく「情緒」的に問題のあるお子さんです。そして、だいたいの場合、発音が不明瞭な事が多いです。


ここからは専門的な話になるので伏せますが、これは脅しではなくて、お母さん方はこの健診があるもっと前から、赤ちゃんの時から、もっと自分の子どもをよく観察して、自分に今できることは何か?の本質を見据え、様々な情報に惑わされる事なく、この子をどう育てたいかをご夫婦でよく話し合われ、本当に必要な子育てをしてほしいのです。
例えば、大人の都合で子どもを連れ回したり、良かれと思って習い事をやらせ過ぎたり、感情のままに怒ったり(叱るとは違う意味)善悪の判断を教えずわがままに育てたり、何でも買い与えたり…。

 

要するに、就学時健診で初めて引っかかって「まあ!失礼な!」って事にならないように、それまでにしっかり子育てをして、自分の子どもの1番の理解者でいてほしいのです。
「うちの子、大丈夫かな…」と心配し過ぎる事はありませんが、自分のお子さんが、みんなと少し違う事くらいは理解しておきたいものです。


子育ては初めての事ばかりで難しいのです。でも、可愛くて幸せで無償の愛がどんどん生まれる素晴らしい行いです。
お子さんが幼いうちに、しっかりと抱きしめて、母親となった幸せを噛み締めて楽しんで、そして、頭をすっきりさせて客観的に我が子を観察しましょう。


「見る・観る・診る」
いろんな「みる」で。

 

 

 

とあるお蕎麦屋さんで出会った男の子3人持った若いママの話

 

蕎麦の花が一面咲き誇る栃木県。美味しいと聞いたお蕎麦屋さんでの事。注文して待っていると、隣のテーブルに可愛い4歳くらいの男の子が一番乗りでやってきて、テーブルの上の食塩を上手に手のひらに取りペロリ。びっくりして見ている私たちにニッコリあどけない笑顔を作るので、思わず吹き出してしまった。


日本では昔から「七つまでは神のうち」という言葉がある。
子どものやる事には全て意味がある。これはシュタイナー教育でもよく言われる事で、だから頭ごなしに叱らない、大人は子どもの目線でその子が何をしたかったのかを考えてから、或いはとっさに理解してあげて、穏やかに対応する事が大切ということ。


その後、歳の近いお兄ちゃん2人と若いママ、おばあちゃんと思われる大人と静かな女の子の6人が席に着き賑やかになった。
大ザルに盛られたお蕎麦と大籠に入った様々な野菜やキノコの天ぷらが運ばれると、ママが「はいっ、手出さない!分けてあげる!」とそれぞれにレンコンやゴボウ、キノコやお芋の天ぷらを分ける。3人の男の子たちは好き嫌いもせずよく食べる。
途中、「こぼさないの!」とか「食べる分だけ取りなさい」とか聞こえてくるが、本当に楽しそうに食べている。お腹が膨れてくるとさっきの塩舐め末っ子ちゃんがテーブルの下(お座敷でお座布団、足の短いテーブル)に寝転がりツルツルのテーブルの裏を触っている。私が思わずまた吹き出すと、ママが気づいて私の方に苦笑い。「ほんとにもぉーっ!すみません。朝から晩まで怒ってばっかりです。」と。
私は「いえいえ、可愛いですね。子どもはそういう事やりたいんですよ。うちの子もそうでしたよ。」と、〈気にしないで!叱らなくていい事だよ。〉という気持ちでそう言うと、「そう言ってもらえると、気持ちが楽になります。」とママ。

 

下の2人は食べ終わってきゃっきゃとじゃれ合っている。ママは「こらっ!もぉーやめなさい!」と言っているが、ケンカをしているのでもなく、お兄ちゃんは痛くないように加減をし、まさに可愛いじゃれ合い。子どもが終わるとママは残りの天ぷらやザルに残った短いお蕎麦をお兄ちゃんと綺麗に残さず食べている様子。
デザートやジュースをねだるでもなく、待ち時間をゲームするでもなく、取り分けてもらうのを待ち、好き嫌いせずに野菜をモリモリ食べ、小さいのに自分で箸を使って残さず食べ、食べなさい!とか言われず美味しく食べている。
賑やかだけど、しっかり躾されていて、あどけない子どもらしさをしっかり残して幸せそうなのだ。今ここには姿の見えないパパの存在もきっとステキなんだろうなぁと想像できる。

 

ここのお蕎麦はすごく美味しかった!勿論、こだわりの人気店で、蕎麦の旨さは素晴らしかったが、それにも増して、あの今どきのママの子育てと3人の子どもたちの清々しい可愛らしさが、心を満たしてくれた事が幸せだった。

私の目線から見ると、あの若いママは、本人は気づいていないが、とても子育てが上手い。そして愛情たっぷり。そして彼女自身がしっかりと子育てをされた幸せな女性だと思う。

 

今どきは子どもの叱り方が分からないママが多い。或いは間違った叱り方をしているのに、それで良し!と根拠のない自信を持っている。

 

「先生どうしましょう?」
「先生、助けて下さい。」
「この事で悩んでいます。こんな時どうすれば良いですか?」
など、度々相談してきて、「そんな事もわからないのか…」と内心思いながらもアドバイスすると、素直に直そうと努力するママはまだいい!そんなママと子どもたちは、どんどん良くなるし、見守るこちらも、その母子を可愛いと思い、何とか良い子育てをする為の方法を惜しげもなく教える事ができる。


しかし、
人として未熟な女性が母になってしまった恐ろしさを感じさせる姿に出くわす事が多い今どきは、なかなか「いいなぁ」と思う子育てをしてるママには出会えない。

 

子どもを育てる事は難しい。マニュアル通りにはいかないし、初めての子育てについつい熱くなり「叱る」ではなく「怒って」しまったり、心配のあまり口うるさくしてしまったり、善悪の判断を誤ったり、誉める時に代償を与えてしまったり…。


「怒る」という行為は、怒りの感情が入っている為に、何がいけなかったのか?が子どもに伝わらない。怒る事と厳しさとは全く違うし、優しさと甘やかしも全く違う。
口うるさく怒ってばかりのママの子どもは、何がいけなかったかが届かず、口うるさいママの言葉を右から左へ聞き流す事を覚える。ここで切り分けたいのは、口うるささは果たして、本当に言う必要のある事だったのか?という事。叱る必要のない事を何度も何度も繰り返し言うのはかえって逆効果、本当にいけない事を1度で良いからしっかり伝えるべきだ。

 

悪い事も見逃して甘やかして、お菓子を買い与えて言う事を聞かせれば、我慢のできない子どもになる。そして代償がなければやらないという、取り引きでないと動かない、心の冷たい子どもになる。

 

あとは、子どもを叱らないママも増えている。自由奔放に、子どもを尊重しています!と、悪い事をしても叱らない方針を、心の広い、美しく尊い姿だなどと錯覚しないでほしい。


子どもは何でも試してみて体験を通して学んでいく。良い事も悪い事もやってみて、ママに褒められたから次もやりたい、叱られたからもうやっちゃいけないと判断する。やってみて納得ができればそれがその子の価値観になって積み重ねていく。
だから悪い事をしたら、しっかり叱って、何故いけなかったかを説明する必要がある。


叱るレベルはいろいろあるよね。
「こらっ!」で終わる笑いを伴うものから、即座にやめさせる必要のある危険な事まで。どのくらいのレベルなのかを、ママの表情や声の感じで測ってる子どもたちは、そのレベルを学んでいく。だから、ママは子どもが分かりやすい叱り方をすると良い。常に怒っていたら、そのレベルはわからない。本当に悪い事、人に迷惑をかけていたり、危険を伴う事は緊急性を持って叱り、あとはなるべく体験させて一緒に反省して次に繋げるようにすれば良い。
本当の「叱らない子育て」はこういう事だと思う。


叱る事をせず甘やかして育てれば、子どもが本来持っている頑張る力を潰すどころか、自分勝手でワガママで、人に厳しく自分に甘い、困った大人になる事は容易に想像できる。

 

長くなってしまったが、
「幸せな子ども」は表情でわかる。
善悪の判断がわかり、愛されているからこその自信がある。そして子どもらしい笑顔の中に、堂々とした存在感がある。食べ物もすごく関係がある。食べたもので私たちの身体はできているのだから。
正しい子育てをされ、正しいものを食べ、たっぷり愛された子ども。それが本当の意味での「幸せな子ども」だと思う。

沢山の子どもたちが幸せであることを、心から願ってやまない。

 

 

 

とある日のアドバイス「絵本とお手伝い」

絵本については、良い絵本の選択が大変重要になります。繰り返し読み聞かせた絵本の内容やその深さは、そのままその子どもの価値観となります。「うっひゃー!かっわいい!どっかーん!」などのマンガチックなものを読み聞かせれば、そのままの明るく楽しく薄っぺらいおばかさんになる事は容易に想像できますね。

ではなく、きちんと叡智を受け取る事のできる作家と画家の両方がプロであるものを選びましょう。それによって、想像力や言語能力にとどまらず多くの力が身につきます。


お手伝いについても、ただやらせるのでなく、自分の行いが誰かの為になる尊いものとなる事、いつかは自分1人でできるようになり自発的に行う事を前提としてうまくスタートしてあげる事が大切かと思います。
お手伝いはまさに「心と身体と頭」を使う最高の行いだと思います。

「や、や、やっぱり!」となりました。

前回コメントした、あの!6月視察した幼稚園の件です。このまま行くと怖いなぁと思っていた事が現実となりました。


子どもを通わせているママさんから、「困りました…。」と連絡が入りました。
◯◯ぐみ(年長15名)のみんなが元気がないので、ママさんたちで調査したところ、何と担任が保育を放棄して保育室から出てこないとの事。


「小さな怪我が毎日発生し、補助の先生はゼロ!誰も見ていないところで園児がバラバラに園庭で遊んでいる!大ケガがあってからでは遅い!というよりひどい!
中心の保護者たちが、まずは三人がかりで苦情を言ったようですが、園側の対応はなし…。
教育委員会に言うべきなのか、検討中です。
1ヶ月後の10月頭に運動会があるのですが、何の練習もなしです。
昨年のような、成長に感動し思わず涙ぐんでしまうなものは見られないのでしょうか…」と。

 

まずは、やっぱりか!という感想です。あの担任はそうなる要素を全て持っている人間でした。
しかし、保育を放棄しているわりには教室に入ってるのだから、園としても、保護者としても、子どもたちとしても、本当に迷惑な事です。
さっさと辞めてくれれば、まだいいのに、その勇気はないんですね。無責任なくせに自分の立場だけは捨てられない、そこにはしがみつく最低な人間だと思います。

彼女は、自分の努力の無さと、能力の無さから引き起こした事に、まだ気づいていません。担任を降りる選択すらできない幼稚な人間です。

鋭い保護者ならもっとずっと前に転園しているでしょうが、幼児にも保護者にも中身のわかりにくい「幼稚園」という空間は、実は大変危険な場所なんですねー。
中身をよく吟味せず、大切な幼児期を3年間も過ごす場所を決めてしまう若いママたち。大事な我が子の命を、そして大切な幼児期の輝く時間を任せる前によーくよーく考えて選ばないと、このように取り返しのつかない現実が訪れます。

 

私からのアドバイスは、
「まずはその3人のお母さん方が言った苦情?に対して、園側がどう対応するのか?見てみましょう。
訴えてから何日経ちましたか?
緊急事態の今、早急な対応がなければ、◯◯ぐみ保護者を全て集めて園側との話し合いの場を持つべきでしょう。


こちらの要求は勿論「すぐさま担任を替えて通常の保育を遂行してもらう事」だと思います。
担任が苦しんでいる事に対して、人としてかわいそうと思う気持ちは、人としてあります。しかし、これは仕事なんです。そこに感情論は必要ありません。こちらは対価を支払って子どもを預けているわけなので。しかも、生身の人間を預かる、さらには「教育の現場」である事を忘れてもらっては困るのです。


もし園側が動いてくれないのなら
時間の猶予はあまりないですね。
幼児の集団ですから、事故でも起こったら元も子もないので、教育委員会に相談するのも1つの手段でしょうね。今すでに、心配で子どもを園に送れずにお休みさせてるご家庭もあるのですから、早急な対応が必要ですね。
その場合、教育委員会に言うには、具体的で詳細な内容や経緯の提示が必要かも知れません。
園側に訴えたけど、早急に対応してもらえないのでこちらに連絡をしたという流れで。

また、今回の事態は園長や主任、誰かわかりませんが、そもそも担任を含むこの人たちも公務員なので、対応が遅いなら、これも管理責任者の怠慢として、問題です。担任は勿論、職務放棄として処分を求めるべきでしょう。」

と。
このようにアドバイスしました。

 

いやはや…幼児教育の現場の改善はどうすれば良いのでしょう。
待機児童云々の話はよく耳にしますが、じゃなくて、現場の保育内容や人的環境の向上については、なかなか目を向けてもらっていないように思います。問題が浮上してから、それに対して右往左往してる事はあるようです。
行政の中でも、子育て支援課なるものの方から、園側と保護者とのトラブルに対して対応する事に予算を使う方法は取られていますが、じゃなくて、そうなる前の教育や、劣化してきた人的環境のレベルアップや底上げみたいな事の方が先決だと、切に思います。
ああ、学生を輩出する大学や短大も大いに責任はあるでしょうね。

 

悲しいねー、不安だねー、子どもたち。

そして未来の日本。